福山通運健康保険組合

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ニュース&トピックス

[2006/08/07] 
カレンダーのなかの季語 「山葡萄」

 おや、こんなところに可憐で美しい紫の粒が・・。ついこの間まで青々と茂っていた雑木や草の間に、いつの間に色づいたのか黄ばんだ山葡萄の葉が揺れて、すき間に実がびっしりと群れている。秋の気配とともにびっくり箱のように姿を現すかわいらしい野生の果実。濃い紫の粒々は「ここにいるよ」と自慢げだ。
 しなやかな蔓をひっぱると案外ずるずると長く伸びる。野歩きでそんな蔓をみつけた時は、実をつぶさないように切り取ってきてリースにする。リースにしないときには、一緒に採ってきたぐみの実の赤いのを添えて生け花にする。どちらも私の好きな、素朴で強靱な秋の植物である。
 山葡萄の汁は血液のような赤紫で、それを絞ったというジュースが健康食品コーナーに並んでいた。一度だけ買い求め、前立腺がんを患う知人の見舞いに送ったことがある。「濃厚ですがどこか涼しい味のジュースです。自然がそのまま私の体に入ってきて、慰めではなく元気が出そうな気がします」という便りが届いてまもなく、その人からの音信は途絶えた。亡くなったのを知ったのは半年ほど後のことだった。山葡萄の紫の粒を見ると、その人から最後に届いた「濃厚だがどこか涼しい」という言葉がよみがえる。もはや野に出ることもできなかった人に、里の秋を飾る果実の味はどんな風に届いたのだろう。食事すらままならない人にとって、あれは残酷な贈り物ではなかっただろうかと思うこともしばしばだ。
 それでも信仰のように私を揺すぶるものはあるのだ。野にあるもの、四季を彩るもの、それを眺め味わうこと。その小さな充実が体に乗り移り、永遠の一日をもたらすこともある。山葡萄の恐ろしく濃い色を見よ。血のごとくたぎる色の深さと澱み。その色が、舌に乗り移ったときの自然のどう猛さが、しばし人を生かす喜びをもたらすことはないだろうか。

                                                                  稲葉 真弓(作家)

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