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カレンダーのなかの季語 「月の光」
「月光浴」という美しい言葉がある。遠い昔のことだ。しきりに月の下を歩いた秋がある。母のほうから私を誘ったり、私が母を誘ったり、家から片道十五分ほどの高校まで歩いていった。秋の田は稲穂でざわめき、大地は生き物のように発光している。青い青い月の夜だ。私も母も黙って歩く。首筋にすーすーと風が渡り、それだけで行き場のない気持ちがなにかに吹き払われるようになだめられていった。校庭の片隅には大きな樫の木が立っていた。四方八方に枝を伸ばした樫の木の根元に腰を下ろし、私たちは枝葉越しにしばらく月を見上げ、また言葉少なに帰ってくる。
「月光浴」をするようになったのはわけがあった。春、父が急死した。父は四十二歳、母はまだ四十歳になったばかりだった。突然の父の死は、いきなり手袋が裏返って手に張り付くような奇妙な落ち着きのなさを家族にもたらした。働き始めた母は疲れがちで、私は高校受験を控えているのに勉強に集中できない。つくねんといつまでもテレビを見ている娘を案じたのか、ある夜、突然母が私を誘った。「月がきれいだから、散歩に行こう」。
母の方にも月の下をだれかと歩きたい気持ちが募っていたのだろう。母は門を出ると、日傘をくるくる回すような姿勢をして少し笑った。その顔が白くてきれいだったことや、すたすたと歩く母の歩調が私よりもずっと早かったことをいまでもはっきりと思いだす。樫の木の下で母に、受験のことなどそっちのけで「早く恋をしたいなあ」と言った自分の、思いがけないほど唐突な口調も思い出せる。
私たちはあのころ、深い水底から浮き上がった魚のように頼りなかった。母も私も口をぱくぱくあけて、自然に呼吸ができる場所を探していたような気がする。それがあの小さな散歩。母と歩く月光の道だった。あのころ、母がどんな思いで月の光の下を歩いたのか聞いてみたいのに、言い出せないままもう三十五年が過ぎた。
稲葉 真弓(作家)
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