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めーるぼっくす「風土と食材」
鎌倉海老(えび)というものの存在を知ったのは、吉田健一の随筆『私の食物誌』でだった。特別な種類があるわけではなく、伊勢海老と同じものなのだが、昔は鎌倉沖でずいぶんと獲れたものらしく、その呼び名が生まれたのだという。
吉田健一の文章を紹介しておこう。
「鎌倉では時々この海老が入ったと魚屋が知らせに来てくれて、その頃は別に有難がって食べる珍味というようなものではなかったから一度に十何匹も頼んでこれを茹(ゆ)でるだけで食べた。こういう旨いものはそんな風に一人で何匹でも食べるという量の上での余裕がなければ食べた気がしないものである。(中略)もう一つ鎌倉海老の食べ方があって魚屋に頼むと牡丹(ぼたん)作りというのにして来てくれた。これは海老の生の肉をどういう風にか牡丹の花の形に巻いたもので、それが大きな皿に一杯に並べてあると肉の色も淡い桃色なので本当に牡丹の花を盛ったように見え、その上に海老の肉には光沢があるから皿の牡丹が輝いた。先ず当時としては最も豪奢(ごうしゃ)な感じがする料理で味も生で食べるのが一番旨(うま)いことは説明するまでもない」。
伊勢海老をそのまま茹で上げ、あるいは刺身の牡丹盛りにして食べるというのだから豪勢だが、そんな食べ方ができるのは「別に有難がって食べる珍味というようなものではなかった」からで、つまり、それだけ大量に水揚げされていたということになる。ちなみに吉田健一の言うところの「当時」とは、せいぜい五十年ほど前のことなのだが、最近では東京や神奈川に暮らしていても、鎌倉海老という名称を知らない人がほとんどで、それだけ獲れる量が少なくなってしまったのだろう。江戸時代の百科事典である『和漢三才図会』にも記載され、かつては広く知られていたという鎌倉海老も、今では忘れられつつあるというところだろうか。
けれども地元の鎌倉では決してそうではない。夏の解禁の時期を迎えると、魚屋でも手に入るし、天ぷらや刺身で供する店もいまだにあって、土地に根差した味覚になっている。
フランスでは十年ほど前から「味覚のレッスン(ルソン・ド・グー)」という運動が起こっていて、これは土地ごとの農作物を大切にし、地域ごとの食文化を守っていこうとするものなのだが、なるほど、食生活の基本は、たしかに地域ごとの風土性に根差したものであるはずで、今や世界中の料理を楽しみ、あらゆる食材が手に入るようになった日本だが、自分たち本来の食材や料理を忘れてしまっては何にもならない。それは自然に反することだし、必ず何らかの歪(ゆが)みを生じさせるのではないだろうか。
その点では、忘れられつつあるとはいえ、地元で獲れた鎌倉海老を賞味できる鎌倉の人たちは羨(うらや)ましい気がする。
城戸 朱理(詩人)
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