福山通運健康保険組合

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ニュース&トピックス

[2006/05/12] 
やすみじかん こたえられるとは限りません

 なぜか私はよく人に道を訊かれる。
 それが近所の商店街とか、こちらが慣れている場所で尋ねられるとは限らず、よく行くとはいえ馴染んでいるとはとても言えない大きな街?渋谷や新宿を歩いているときや、初めての町を多少緊張しながら歩いているときでさえ、「すみません、○○ビルってこの辺りでしょうか」などと声をかけられるのだから不思議だ。一度なんか、旅先の外国であきらかにその国の人に道を訊かれて、びっくりした。旅行者なら地図を持っているだろうと思ったのかなと、即座にガイドブックを開いていっしょにのぞき込んだのだけれど。
 人ごみや信号待ちでたくさん人が立ち止まっているようなところでも、どうしてなのか道を訊きたくなった人はわざわざねらいすましたかのように私を選んで声をかけてくる(ような気がする)。《道を訊いてもいいですよオーラ》でも出ているのだろうか。この頃は私も慣れてきて、後ろから遠慮がちな「あのー」という声が届いたり、前から歩いて来た人がするするっと近づいてきたりすると、さあ訊かれるゾと心構えをするようになった。
 とはいっても、私は決して方向感覚がいいわけではないのだ。地図だってまあまあ読める程度。たまに、知らない場所でも「たぶんこっち」とカンだけで迷わず目的地にたどり着ける人に出会うと、その野生の獣っぽい気配に惚れぼれしてしまい、安心とスリルを同時に味わいながらふらっとついて行ってみたくなる。方向感覚は空間把握能力と関係が深いらしい(ちなみに私はスーツケースのパッキングや押入れに荷物を仕舞うのは得意なので、こっちには自信がある)。野性的なカンの効く人がきっちり上手に物を片付けているのって、あまり似合わない気もするのだけど、どうなのだろう。
 この間、渋谷を歩いていたら背後から「すいません」と丁寧な声がした。きたきた、知っている場所だといいけどなあと思いつつにこやかに振り向くと、きちんとした身なりの中年男がにっこり笑って「これからコーヒーを飲む時間はありませんか?」……!? 何年ぶりかのナンパに、すっかり道を教えるモードに入っていた私は、「ごめんなさい、友人と待ち合わせているんです」とやけに礼儀正しく丁寧に応えてしまったのだった。

川口晴美(詩人)

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