福山通運健康保険組合

福山通運健康保険組合

文字サイズ
  • 小
  • 中
  • 大

ニュース&トピックス

[2006/11/24] 
めーるぼっくす  「人間の寿命」

 年が明けると、自分も今年で何歳になるのかと、驚いたり、感慨にふける人は少なくないだろう。私などは、次の誕生日が来るといくつになると思っているうちに、誕生日のだいぶ前からひとつ年を取ったような気分になっていることがあって、四十二歳になったとき、次は四十三かと考えているうちに、自分の年を四十三と勘違いしてしまったりする。そんなものだから、面倒になって、「もうじき五十だしな」と言い出したら、さすがに年長の友人に「まだ早い」とたしなめられてしまった。結局、本当のところは、まだ四十二歳のようだ。
 これが、実に中途半端な年齢で、決して若くはないが、かといって老いを感じるほどでもない。昔なら「壮年」とでも言ったところだろうが、今では、そんな盛んなイメージもなくなって、三十もなかばを過ぎると、ほとんどの男は「オヤジ」で一括されてしまうらしい。そういえば、日本には父親らしい父親がいなくなってしまって、本物のオヤジに出会うことも実に少なくなってしまったなどと奇妙なことを考えた。そこに、友人から電話。なんと、私と同い年なのに、最近、老眼がひどくなって細かい文字を読むのが辛いというのだ。
 四十代で老眼とは早すぎると思ったが、実は、珍しいことではなく、ごく当たり前のことと知って、さらに驚いたが、考えてみると、このことは、実に面白い問題を孕(はら)んでいる。現代人にとって、四十代とは老人と呼ぶには、あまりに早すぎる年代であって、「老眼」という言い方に違和感を覚えるわけだが、実は四十代で老境と考えられていた時代があったわけである。それも、別に遠い昔の話ではない。わずか半世紀前でも日本人の平均寿命は、五十ていどで、それが六十に達したのは1960年前後のことである。
 人生五十年。これが、長いこと日本人にとっては、むしろ常識だったことになる。もともと、仏教に「人間五十年」という言い方があって、わが国では十世紀に源信が『往生要集』を著わしてから、広く流布するようになったのだという。江戸時代はもちろん、明治時代でさえ、四十代は老境を意識しておかしくなかった年代ということになる。
 今や、日本は世界一の長寿国となって、八十まで生きても当たり前だが、動物としての人間を自然界に放り出すと、その寿命は五十年どころか、三十歳ていどらしいから、それこそ、文明の恩恵と言わざるをえない。生きている時間が長ければ、それだけに思い出すことも増え、本当に語るべきことが何かも分かってくるだろう。もし、そうならないのであれば、いくら長生きしても意味のないことのように、私などには思われるのだが。

                          城戸 朱理(詩人)

※ 営利、非営利、イントラネット等、目的や形態を問わず、本ウェブサイト内のコンテンツの無断転載を禁止します。  

ページ先頭へ戻る