福山通運健康保険組合

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ニュース&トピックス

[2006/12/04] 
カレンダーのなかの季語 「手袋」

 手袋が路上に落ちているのを見ると、一瞬どきっとすると言ったのはだれだったか。身体を離れたものの妙な生々しさと怖さが手袋にはある、とその人は言っていた。
 私は、手袋を片方なくす名人だった。コートのポケットにいれていたのをうっかり落とす。店の中が暖かいのでつい外したものを、そのまま席に忘れてきたこともある。そんなふうにいくつ「お気に入り」をなくしたことか。おまけに片方だけの手袋の所在のなさ、間が抜けた感じといったら、なんともいいようがないほど淋しい。
 子どもの頃は左右の手袋に紐をつけたのを使っていた。首の後にこの紐を回し、手袋を脱いだとき両腰のあたりでぶら下がるようにしたものだが、子どものファッションとしてはかわいらしくても、大人が手袋を腰にぶら下げている光景はどうにも様にならない。で、相変わらず、片方をどこかに忘れてくる癖は直らないままだ。
 冬のファッショングッズの中で、一番好きなのは手袋だ。セーターやコートに合わせて手軽に選べるところがうれしい。男の人が上等の革の手袋をはめているのを見るのも好き。ジャン・ギャバンのような風格のある男性の、コートを脱いだあと、さりげなく手袋を外すシーンを思うだけでほのかなエロスを感じる。
 そう、手袋は、どこかエロティックなのだ。皮膚を被っているものが、不意に剥かれるシーンというのは、考えてみたら案外日常には少ない。  私の友人のピアニストは、指が冷えないようにと、冬になると革の手袋を愛用している。あるとき柔らかそうな黒いスウェードの手袋をすっと脱ぎ、レストランのテーブルの隅に置いたしぐさがあんまり美しいので見とれたことがある。よく手入れされた爪の色、ピアニストらしい繊細な指先など。まるで小さな音楽を聞いたような気分でもあった。
 冬の日の午後、ちょっとお茶を飲みに行くときなど、きれいな色、しなやかな風合いの手袋がひとつあるだけで気持ちが弾む。手袋が好きなせいだろう、路上に落ちている片方を見ると、それを愛用していた人の「手の無念」が胸をよぎる。

                                                         稲葉 真弓(作家)

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